2023年の1月3日(火)に馬籠宿を観光した後に今度は、妻籠宿にも移動していきました。馬籠宿からは、車で16分位で到着しますよ🚙第一駐車場に停めていきましたよ。駐車料金は500円です。
中山道妻籠宿は全国町並み保存発祥の地
妻籠宿はご存じの通り、集落保存の先駆的、実験的計画として、多くの注目を集めた宿場町です。従来の文化財保護対象を「点」から「面」へと広げられ、景観から環境を含めて、優れた文化財として保存して行こうとする考えを、理念から実践の段階へと押し進められた歴史があります。妻籠宿は昭和51年に、日本の中でもいち早く「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されて、町並みは、自然や街道とともに、山深い木曽谷の中の集落として宿場景観が保存された場所なんです。
江戸時代におよそ8km毎に造られた旅館街の街並みを「宿場町」と呼んでいるんだよね。
妻籠宿では南北500mの間におよそ200軒が立ち並んでいるそうですよ。
馬籠宿にいた時は岐阜県だったけれど、妻籠宿は長野県に入っているので、木曽の街並みが深く感じられます。
中山道妻籠宿 高札
高札は掲示板の役割で、昔のおふれなど宿場町のルールなどを書いた掲示板ですね。
中山道妻籠宿 鯉岩
ものすごく大きな岩だよね!鯉岩ってかいてあるよ。
元々は大きな鯉の形をした岩で、中山道3名石の1つだそうだったみたいだよ。明治24年に起こった濃尾地震で、形が変わってしまったんだって。
こちらは民宿なんですね。大吉の文字がお正月から見られたので縁起もよさそうですね!
妻籠宿片側の端まで来たので、今度は折り返して反対側に歩いていきます。
中山道妻籠宿 藤乙で昼食を頂きました
藤乙さんは旅館もされていますが、お食事だけでも入れます。
よく歩いてきたし、12時を過ぎていたので、昼食を頂きました。ざるそばはのど越しもよく、五平餅も美味しかったです♬
藤乙さんのランチメニューはこちらです。
ひょうたんと柿に可愛らしい絵が描かれてあったので立ち止まって見てしまいました💛
中山道妻籠 脇本陣奥谷
妻籠宿脇谷本陣は屋号が「奥谷」と呼ばれています。代々林氏が脇本陣・問屋を勤められてきました。現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い、 当時の粋を集めて建てたものです。また、島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもあります。昭和42年には妻籠宿保存の中核として公開され、平成13年6月、国の重要文化財に指定されています。
妻籠宿 南木曽町博物館 入館料と営業時間
南木曽町博物館は歴史資料館と妻籠宿本陣、脇本陣奥谷との三館により構成され、共通券で見学できます。
入館料(歴史資料館と共通) | 大人600円 子供300円 (妻籠宿本陣との3館共通券 700円) |
営業時間 | 9:00~17:00(16:45 入館制限) |
休館日 | 年末年始(12月29日~1月1日) |
中山道妻籠宿 脇本陣奥谷 囲炉裏端の美しい光のシャワー
実はこの日この時間妻籠宿脇谷本陣のこの場所で多くのカメラマンや報道陣の方達が集まって、格子からもれる斜光を写すために撮影会が行われていました。
語り部の方から教えてもらいましたが、この時期に正午(11時から15時前頃まで)のこの時間でないと格子外から入る陽光のこの光景は見られないそうで、たまたま偶然にもこの良い時間に我が家は訪れて写真が撮影で来たようです✨
囲炉裏端での昔の生活ぶりが想像できそうです。
お正月の時期のこのような晴れた日のお昼頃には、囲炉裏までまっすぐ差し込む光のシャワーが見事なんです。とても良い写真が撮れたと思っています📷
脇本陣奥谷では囲炉裏端での昔の生活ぶりや、明治天皇がこちらに寄られた時の貴重なお話など、生きた歴史を語り部の方から聞くことができます。
皇女和宮が江戸徳川家に降嫁の際中山道を北上し、妻籠宿では林家(奥谷) で休息を行い、明治13年(1880)の明治天皇巡幸の際も御小休所として使用されたそうです。
島崎藤村の幼なじみでもあった初恋の相手「ゆふ」さんは、14歳の若さでこちらに嫁がれたそうです。なんだか切ないですね。
歴史資料館
歴史資料館は脇本陣奥谷に隣接しているため、奥谷から続いて見学できるようになっています。
歴史資料館には、原始・古代・中世・近世・近現代と、すべてにわたった木曽全体の歴史がわかる資史料が展示されています。
明治天皇は1880年(明治13年)6月28日、脇本陣林六郎左衛門宅で休憩されました。
藤村は初恋の人ゆふさんに心を寄せていたことが深く感じさせられます。
中山道 妻籠宿本陣
パパ、さっきは脇本陣を見てきたけれど、こっちは本陣だよね。2つはどういった違いがあるの?
ももちゃん、良い質問だね!本陣の方は、天皇のおつかいである勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設なんだけれど、本陣だけに宿泊できないときには、予備にあてた宿舎が脇本陣だったんだよ。
本陣の庭には梅の木とこちらのかりんの木がありました。
本陣の方が脇本陣の方よりも土間が大きくて、格式が高いように感じます。
畳一畳分を使って囲炉裏が入っているんですね。
重厚な箪笥もこのお家の格式を感じさせます。
中山道妻籠宿の桝形の跡
妻籠宿にもこのように桝形の跡があります。かつて幕府により防塞施設としての役割も担わされていた宿場は、右か左に直角に曲がり、少し行くと今度は反対に直角に曲がる道を作って、外敵の侵入を防いでいました。妻籠の桝形は、妻籠郵便局から下嵯峨屋までの間にあり、当時の形がくっきりと分かる姿で保存がされています。
大分歩きましたので妻籠宿を出る前に、えびやさんに入って栗入りぜんざいを頂きました♬大きなお餅も入っていて美味しかったですよ。
まとめ 中山道妻籠宿を観光して
妻籠宿は昭和40年代に入り、集落保存と町並みの景観が修復されて、宿場町の保存が見直されました。
妻籠の人達は町並みを守るために家や土地を「売らない、貸さない、こわさない」を中心とした住民憲章を作り、ここで生活をしながら、江戸の町並みという貴重な財産をこのようにして後世に伝えてくれています。
妻籠宿を観光して、昔の人たちの生活や使っていたもの、木曽の町での暮らしなどがよくわかって楽しめました♬
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